未知追求が仕事を再構築していく。
近代農法では得られない、合鴨水稲同時作の「面白さ」とは。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
■面白さが農業を再構築する
私は合鴨君から、農業(仕事)の面白さを教えられた。合鴨水稲同時作には、化学肥料や農薬・除草剤などの外部資材に依存したいわゆる近代化稲作とは大きく違った技術的特徴と面白さがある。
世界の農民の80%は、我が家のような小さな家族農業を営んでいる。ところが、世界規模の市場経済化とグローバリゼーションのもとで、農産物価格は低落し続け、いま小さな農業が各国で潰されつつある。
では、小さな農業を続けていくにはどうすればよいのだろうか。そのカギは、技術的合理性、単一栽培による経済合理性の追求だけではなく、多様な農業による仕事それ自体の面白さの追求にあると私は思う。合鴨水稲同時作は、一度始めると、面白くて、いつのまにかそれ自体が目的になる。金銭を得る手段としてだけでなく、農業することそれ自体が楽しい目的になってしまうのだ。主体的・創造的に、面白さの方向に技術を組み立てられる。その面白さが農業を再構築する。
「面白い」の原義は、目の前が明るくなる感じ。合鴨君にピッタリの言葉だ。では、合鴨水稲同時作は、なぜ、こんなに「面白い」のだろうか。
それは第一に、技術の構造にある。雑草・害虫・ジャンボタニシの防除、養分の供給、濁り水、稲に刺激を与える効果を、同時に合鴨君一人で、均一に、継続的に、適期に、相乗的に行う特異な技術「構造」、スーパーシステム性にある。
第二に、技術の創造にある。日本の農業では、稲作がもっともよく研究されている。だから一般の稲作では、現場で農家が独創性を発揮できる領域は意外に狭い。もちろん、その気になれば、発見や独創は不可能ではないだろう。しかし、あまりに便利にマニュアル化されているので、創意工夫の必要性を感じないのかもしれない。これに対して、稲作と畜産と水産の創造的統一である合鴨水稲同時作では、マニュアル化できない未踏の領域が広く、自分の頭と身体を使って、技術を創意工夫する必要がある。というより、創意工夫できる。その過程が面白い。
第三に、普遍性にある。合鴨水稲同時作の構成要素である「同時作」という概念は、伝統農業の基本原理である「輪作」と相補関係にある普遍的概念だ。この普遍性(すべてのものに通じる性質)の雄大さが面白い。つまり、独自性があると同時に、普遍性をもつから面白いのである。
経済のグローバリゼーションのなかで、農業を取り巻く状況はますます厳しくなっている。だが、仕事が面白く、仕事自体が楽しい目的になっていれば、決して農業は潰れない。続けるための創意工夫ができるからである。一方、金銭だけが目的の農業は価格競争の中で消えていくだろう。